Wasedanomori Brass Ensemble
早稲田の杜金管合奏団
<< Sub Menu >> Go To ... 音楽復興祈念賞 楽器関連作品 特別寄稿 忘れ物選手権 思い出の動画
「第8回 ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」を受賞! (2019年11月3日)
当団の「第5回 奥州市特別演奏会 及び 陸前高田市特別演奏会」に対して、栄誉ある賞を頂戴致しました!
クリックで拡大します。
「第6回 ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」を受賞! (2017年11月24日)
当団の「第4回 気仙地区特別演奏会 及び 奥州市特別演奏会」に対して、栄誉ある賞を頂戴致しました!
クリックで拡大します。
■As管ポストホルン
演奏会で何度も活躍した名機です。
クリックで拡大します。
■ベル取り外し可能型トランペット(アタッシュケース格納可能)
こういう発想をする時点で普通の人とは一線を画す。。
クリックで拡大します。
■通称「赤ラッパ」
こういう塗装を行う時点で普通の人とは一線を画す。。
クリックで拡大します。
■ピッコロトランペット
クリックで拡大します。
■バケット・ミュート
クリックで拡大します。 クリックで拡大します。
バケット・ミュート誕生秘話!(2001年3月)

■送信:マイスター@楽器工房店主 殿(読んでますかぁ~!? 赤尾で~す!) 

 素っ頓狂なメールが飛び込んできたのは:2003/01/10 14:09(注:金曜日)

 「突然ですが、『瞳チャン』(掲載者注:「瞳は君ゆえに」(ハリー・ウォーレン作曲)という演奏会に採り上げた曲)では、ボントロパートにバケット・ミュートなるものが必要です。『豪華反省会(さくら水産)』一回無料御招待という稀にみる好条件で、製作を御願いすることは出来ないでしょうか??? ちなみに、3ヶ必要です。如何でしょうか?」

 「ところが、フェルトクラウン、ハット、ソロトン、ウィスパー、ベルペジャー、ベルベトーン、ブランジャー、カップ、ワンワン、ストレート、ゲシュトップ、便所スポイト、ピンポン玉・・・調べれど調べれど、余の辞書にバケット・ミュートが無い。」

■返信1:赤尾@ミュート製作依頼者 殿(from Meister Yamase)

 いいでしょう。作ってみましょう。ベル径とお好みの色をお知らせ下さい。多分ベルベトーンと記憶してる角が取れた「コーッ」という音のするミュートだと思う。

 調査の結果(この過程が重要なのです)、ニューストンライン他3社が製品化しており、同社では「ヴェルベトーン」・・。

 先日、ダク(掲載者注:新大久保にある楽器店)にて、モノホンを確認しましたが、価格は「魚肉ソーセージ150人前」くらいでした。

■返信2:そして ついに: 01/20 19:12 (from Meister Yamase)

 魚肉ソーセージのために夜を徹して仕事してます。酒席奏者殿まさか約束をお忘れでは?? バケット・ミュート3個できました。

 ・・・でも、ピッコロTp製作用に温存していたリン青銅板をベル2個分も使ってしまいました。ヴェルベットのような音色によるソフィスティケーテッドなハーモニーをお楽しみください。

 ・・・どう聴いても「破れ雑巾???」・・それは演奏者が悪い・・・

 「たかがミュート、されどミュート・・」なのです。

■アルペンホルン
横に寝そべっているのはアルペンホルン。木製ではありません。紙管を使用して製作されたもの。何故かFis管(*_*;
クリックで拡大します。
■「ワセキン誕生記」(2001年3月)
ワセキン誕生の秘話です !

 早稲田の杜金管合奏団。おお。なんと良い名前だ。衆議一決した金管アンサンブルの名称。当初の案は、 早稲田の杜中年金管合奏団と、「中年」が入っていたが、つごうによりやめました。デビューは2000年8月の 「早稲田大学交響楽団OB会総会」時の室内楽演奏会。結成はその2か月前、突然。

 どうしてかって? よく聞いて下さった。

 今を去ること3年半前。1997年のことである。おりから金融システム危機が進み、一部大手金融機関が破綻するという噂がマーケットをかけめぐっていた。そのころ、トロンボーンの赤尾達也は山一証券北九州支店副支店長として小倉に赴任していた。

 10月。私(坪井)はそのとき経済雑誌の編集者。小倉出張のおり、赤尾と20年ぶりに再会し、現下の金融情勢などについて議論していた。「年末にまた来るので会いましょう」「おお。待ってるぞお。ガハハハハハ」。 証券会社の営業幹部らしいド迫力の笑い声に送られて、小倉をあとにした。

 それから1か月。米系格付け会社は山一証券や北海道拓殖銀行などの格付けを引き下げ、株式市場では 両社が売り浴びせられていた。またたくまに資金調達の道が閉ざされ、拓銀が11月14日に破綻、1週間後に 山一証券が自主廃業した。

 年末。出張した私は赤尾に再び会った。「元気ですか」「まあな。いま、後始末に追われているんだ」「どうするんですか」「東京に帰る。なんとかなるさ」「そうだ。6月のババカン(高田馬場管絃楽団)の演奏会にぼくも出ますから、聞きにきてくださいよ。ワセオケ時代の仲間もいますから」「うん。もう20年、楽器に触っていないけどねえ。たまには聞きにいくかあ」。目はつり上がり、蒼白で緊張感漂う赤尾の表情に気押されながら、帰京した。

 半年後の1998年6月。ババカンの演奏会。すっかり健康を取り戻し、やに下がって上気した赤尾がやってきた。野球帽をかぶっている。「元気そうですね」「うん。再就職先も決まってね。もう東京で働いているぜ」 「そうですか」「しかし、だ。いいなあ。きょう聞いて、またトロンボーンを吹きたくなったよ」「またやりましょうよ」。

 赤尾はその後、楽器を押入れから引きずり出し、なんと2つのアマチュア・オーケストラに入って音楽活動を再開した。エキストラにも積極的に参加し、あっというまに20年前のライフスタイルに戻ってしまった。

 それから1年後の2000年初頭。楽器から遠ざかっていた赤尾の周囲のOBが、再び楽器をケースから出し、赤尾の狂気にかられた演奏活動に巻き込まれはじめた。卒業後も演奏を続けていた者、まったくやめていた者を問わず、少しずつ集まりはじめた。2000年夏。ちょうどOB会総会がある。「演奏しましょう」「やろうやろう」。すぐにエントリーすることになった。

 本番直前の練習後。秋葉原の飲み屋での会話。「来年、自主演奏会をやりましょうよ」「そうだそうだ」。なんの根拠もなく盛り上がり、会場のあてもなく計画だけが進行した。3日後の電子メールで(メーリングリストをつくっていた)、滝口弘光(トロンボーン) が「会場予約しましたよお。ルーテル市谷センターでえす」「おお」「なんと」 「ほんまかいな」と、勤務中にメールが飛び交い、第1回演奏会を3月11日(日)に開くことに決まってしまった。 以来、ワセオケOB以外の音楽仲間も加わり、半年間の練習が進んだのである。

 長くなりましたが、ようするにワセキンを生んだのは、1997年の金融危機と、その渦中から脱出した赤尾の帰京なのである。

■特別寄稿2「ええっ? 早稲田の杜金管合奏団が2回目のコンサートですってえ?」(2002年2月)

 みなさん、ごぶさたしておりました。お元気ですか。ワセキン(早稲田の杜金管合奏団)の坪井賢一です。

2001年3月11日に初めてコンサートを開きました。結成のいきさつは以前、書いたとおりでございます。うふふふ。OB会報に掲載させてただいて、多大な反響がございました。仙台からかけつけてくれたOB、平均年齢推定49歳という年長のOB達はいったいどういう人生をおくっているのかと、大きな関心をもって聴きに来てくれた卒業したてのOBなどなど。

 その後、解散したんだろうって? とんでもない。なんと夏合宿までやったのだ。わははは。つらい夏も乗りきり、2回目のコンサートに向けて精進しております。そう。2回目です。やっぱりやるんです。メンバーも少し増えました。相変わらず選曲に難渋しておりますが、着々と準備を進めています。先週も、1日7時間の練習があり、翌日から背筋が痛くなりました。はい。

 この夏は勉強会と称してさまざまな金管アンサンブルの演奏会にも行きました。特筆すべきはベルリンフィルハーモニー金管アンサンブル。あれはたしか7月でしたか。来日演奏会へみんなで勉強しにいき、終了後はベルリンフィルのメンバーと親しく交歓したのであります。本当です。そして、ワセキンと姉妹合奏団の提携までしたのだ(これは大ウソ)。

 さて、2回目のコンサートをご案内いたします。たぶん、無料です。昭和40年代、50年代卒業のみなさん、平成の最初のほうの卒業のみなさん、仲間が待ってますよお。卒業直後のみなさん、親に近い世代のOBがどうしているのか知りたいでしょ? ぜひ来てください。待ってるよお。

■特別寄稿3「まさかこんなことになるとは」(第3回演奏会に寄せて)(2003年3月)

 本日はワセキンの第3回演奏会を見物、じゃなかったご鑑賞いただき、ありがとうございました。推定平均年齢も50歳を超え、いよいよわれわれの道楽、じゃなかったゲージュツも疾風怒涛の時代に入りました。第1回は20年ぶりの仲間とのステージ、あの不思議な感触が楽しかった。3回目になりますと、新しい仲間も増え、音楽的な広がりが楽しくなってきます。さらに、こんなことも始まりました。特に名前を秘しますが、ホルンのTは推定5つのオーケストラとワセキンを掛け持ちし、仕事の手帳とホルン活動の手帳を分けて持ち歩く始末。トロンボーンのAは週末を3つの団体掛け持ち。夜は別のオケとワセキンで飲み倒し、酔眼を血走らせてトロンボーンを引きずって歩くようになりました。トランペットのKは休日になると1日3コマから4コマの練習が入り、ワセキンの練習の途中でどこぞの本番に駆けつけ、またワセキンに戻ってからは夜は別のオケの練習に行くという離れ業を演じております。

 トロンボーンのUは、平日の練習になると東京駅でトロンボーンが収まるコインロッカーを押さえるために、いつもより1時間早く家を出ます。ほら、早朝に東京駅丸の内南口でボントロかついでうろうろしているのがUですよ。Mの凶器、じゃなかった音楽的狂気は総天然色のチラシ・デザイン、およびワーグナーのアレンジの壮大さでお分かりいただけるでしょう。トランペットYの工学的な狂気は上記のとおりです。きりがないのでもーやめた。

 それにしても、まさかこんなことになるとは。

■特別寄稿4「まさか、こんなことが続くとは」(第4回演奏会に寄せて)(2004年3月)

 本日はワセキンの第4回演奏会を見物、じゃなかったご来場いただき、ありがとうございます。ああっ!、今回は「見物」もあるんだ。われらがマイスター山瀬がヘンチクリンな、じゃなかった素晴らしい自作ラッパの数々をロビーにて展示しております。ぜひ、お手にとってご鑑賞ください。だいじょうぶ、楽器は噛み付きません。場合によっては即売いたします(うそ)。

 これらの作品は実際に吹けるんですよ。本日のプログラム4曲め、アルテンブルクの協奏曲は7本のトランペットのための作品ですが、7本のうち4本はヤマハ、じゃなかったヤマセ工房の作品なのです。3番と5番奏者が手にしている細長いラッパは、第2回演奏会時にマイスターが製造した変イ調の直管ポストホルンです。

 マイスターの本職は化学会社の幹部エンジニアですが、日夜自作ラッパの研究に余念がありません。ああっ!、日夜ではなくて夜だけです、はい。かくいう私もつい最近までマイスター製作のペットボトル改造ストレートミュートを使用しておりました。軽くて周囲を傷つけず、重宝していたのですがKに貸したら返してくれません。昨年の演奏会で製造したポリバケツ改造トロンボーン用バケットミュートという奇怪な代物は、なんと他の団体に貸し出されていきました。

 推定平均年齢も52歳を迎え、われらのゲージュツ活動は狂乱の時代に入りました。昨年のプログラムではこんなことを書きました。「特に名前を秘しますが、ホルンのTは推定5つのオーケストラとワセキンを掛け持ちし、仕事の手帳とホルン活動の手帳を分けて持ち歩く」.....。それから1年、現在は会社を××し、10団体に参加するという発作的な音楽生活に入っております。これをわれわれは「T状態」と読んでいます。

 トランペットのKは相変わらず仕事の××に××し、スクーターでワセキンの練習の途中で他団体の本番に出かけ、またワセキンに戻ってから夜は別のオケの練習に行くという離れ業を続けています。これを昨年、われわれは「K状態」と定義しました。

 ああっ!誤解しないでください。仕事はちゃんとしているんですよ。TはIT関連技術者で、Kは建築家(らしい)です。

 さて、今回はまたまた「フィンランディア」で木管の仲間の参加を得て、指揮者・森岡篤の編曲による管楽合奏版を演奏します。過去最大規模の編成になるでしょう。金管アンサンブル×木管アンサンブルの饗宴をお楽しみください。

 それにしても、まさかこんなことが続くとは。

■特別寄稿5「第5回演奏会会場 涙の抽選記!!」(2004年3月)

 6時30分起床。地下鉄を乗り継いで牛込箪笥区民ホールに着いたのは8時25分だった。入り口で紫煙を燻らせ、鈍いアタマにニコチンで刺激を与えているとS嬢があらわれた。本日の当ホール抽選担当者2名がそろった。S嬢は連絡係、クジを引くのはオレだ。9時までに会場の部屋に入れと手引きにあるが、ドアを開けるとまだ誰もいない。見かねた若い職員に和室に通された。畳に転がりながらS嬢の家庭の悩みなどを聞き流す。フン。

 同時刻、Uは寝惚けマナコで歩道のごみ箱を蹴飛ばしながら四谷区民ホールへ急いでいた。相棒のAはすでに会場にいた。

 同時刻、ラッパのSとトロンボーンのIは角筈区民ホールの抽選会場で、R2D2とC3PO(スターウォーズ参照)のように笑えぬオヤジギャグを飛ばし合い、抽選を待っていた。

 さあ、抽選3チームの揃い踏みである。

 9時。牛込箪笥ホールの会場のドアが閉まり、職員が説明を始めた。3分経過。とつぜんドアが開き、中高年のご婦人が顔を出して、「まだいいですかぁ」と間の抜けた声を上げた。5人目である。たったの5人(組)!

 すでに職員が数字の書かれている小さな玉をカゴの中に4個入れていた。ガラガラとカゴを回し、出てきた玉の数字順に日時を押さえていくという寸法である。遅刻したご婦人のために5番目の玉が入れられた。

 いよいよ抽選である。オレたちは8時半から来ていたのだ。とうぜん1番目にカゴを回すのだ。5人なら楽勝じゃんかよぉ。張り合いがないなあ。他の部屋もとっちゃおうかぁ、などと二人は根拠なく熱狂してオダを上げていたのだ。

 どおれっ、とオレはカゴを回す。なかなか出てこないなぁ。ガラガラ、ガラガラ。お、出た。

 ゲッ! 5番じゃないか。あの遅刻オバさんの玉じゃないのかこれは。

 5人中5番。。。

 オレは激しく落ち込んだ。S嬢は突っ伏して泣きながら爆笑し、すぐに四谷のAに電話した。

 同時刻。四谷のUは8番目にクジを引くことになっていた。順番が来て立ち上がると、何を思ったかUは大きく柏手をパンパンと打ち、八百萬の神に祈りをささげた。場内は息を呑み、一瞬の静寂の後、「ぷっぷぷっー」と嘲笑が広がっていった。

 四谷は箱の中の数字入り紙切れを引く方式である。Uは太い腕を箱に突っ込むと、物色を始めた。何度かしっくりこない紙切れをうっちゃると、おもむろに1枚引き上げた。

 「1番。。。。。フン」。どわーっ。場内は騒然。次の瞬間、Uに向かって柏手を打つ音がひっきりなしに続いた。

 興奮するAのケータイが鳴る。お、S嬢か。

 「くくく、ぶぶぶ。5番でした。ぎゃはは!」

 「もしもし、Uが1番クジ引いちゃった。もう帰っていいよん。」

 同時刻。角筈区民ホール。SとIは出番を待っていた。さあそろそろか、と腰を上げた瞬間、Iのケータイが鳴った。四谷のAからだ。

 「こちら四谷。1番クジ引いたもんね。もう要らないよん」

 SとIはハラヒレハレホ、と力が抜け、顔を見合わせると二人でガチョーンと叫んだのである。

 この間、わずか10分である。9時15分には四谷に集合し、後光の差すUに柏手を打ち、それぞれの職場に向かったのであった。

特別寄稿6 赤尾達也(当団トロンボーン奏者)
■「2001年夏合宿記」(2001年8月25日&26日)
このメンバーの大半で合宿するのは、推定27年ぶりの出来事 !

 合宿1日目。午前11時に八王子駅から八高線で出発。都心の八王子からわずか一時間で『こんなに自然が!』と車窓の景観に感じ入りながら西部秩父駅着(八王子が田舎であるという説も)。森岡さんも同じ電車だったようで駅で合流、西武秩父駅にて前祝いのビールをのみながら昼食。池袋から特急で来た杉山さんと合流し、バスで秩父ニューズパークへ。予想以上に素晴らしい施設でビックリ。やがて全員揃って練習開始。

 6時から夕食。練習場がディナー・ルームに変身。持ち込み禁止もモノともせず、わが内田幹事長殿はビールの樽を持ち込み、厨房の冷蔵庫で冷やしてもらうという離れ業を披露。幹事長殿はビール・サーバーなるものを取り出し固執。なかなかビールが注げない。にもかかわらず、なおもご執心。赤尾は勝手に別のビールを注ぎはじめ、幹事長殿に叱責される。

 誰かが、食事をしながら妙なる金管合奏を聴こう、吹こう、と言い出し、皆、ほろ酔い気分のまま楽器を取り出し、初見大会を始める。中世の王侯貴族もかくありなん、という『ターフェル・ブラスムジーク』が延々と9時近くまで続く。9時ごろから再び森岡音楽監督による地獄の特訓が始まるものの、皆、少々酔っぱらっていてヘロヘロに。10時過ぎに楽器を片付け、コテージへ移動。宴会開始。

 合宿2日目。眠い目をこすりながら食堂へ。『起き抜けでメシなんか食えない』なんて言いながら、バイキングなので皆、オカワリ(川俣さんのことではない)を繰り返す。塚田さんは、朝から納豆を含め多彩なおかずにご飯もオカワリして、さらに杏仁豆腐の大盛りを平らげ、さらにさらにコーヒーまで飲んで、とても満足気であった。

 チェック・アウト後、3台の車に分乗して同じ敷地内の『秩父市音楽堂』へ。残響がやや長めではあったが、想像を超える素晴らしいホールだった。9時過ぎから始めた練習も、あっと言う間に11時近くなってしまう。ここでまた、我らが内田幹事長殿が離れ業をやってのける。午前中だけ借りていたホールだったが、無料で午後1時までの延長を認めさせてしまったのである。さすが、世界を股にかけた商社マン。11時から無謀にも録音会に突入。トチルは外すわ止まるわ。難行苦行であった。歳のせいか、昨日の練習をものの見事に忘れ去っていた。

 新幹線の切符をとっていた牛野君を、大原さんが西武秩父駅まで送ることに。時間が押していたので大原さんに先発してもらい、残ったメンバーで後片付けして、西武秩父駅で待ち合わせることにした。片付け終わり、酒井さんご夫妻と別れて西武秩父駅へ。

 ところが、どこを探しても大原さんがいない。胸中に、いろいろな不安がよぎる。『西武秩父駅と秩父線の駅を間違えたのでは。』『その場合でも、牛野君は熊谷まで出て、東北新幹線を使って東京へ出れば間に合うだろう』。とにかく、塚田さんと大内君に秩父線の駅まで捜索に行ってもらう。無責任な想像を逞しくする。間もなく、秩父線の駅まで捜索に行った2人から連絡が入る。『行方不明』。どこへ行ってしまったのであろう。そうこうするうちに、隣のイベント広場で始まった『秩父太鼓』を見に出た川俣さんに連れられて、なんと行方不明の大原さんが現れた。大原さんは、駅周辺を一回りしているうちにすれ違ってしまったらしい。大騒ぎの『大原、牛野両君、行方不明事件』も大事に至らず、無事解決。解散。

・2022年東北・岩手樂旅 忘れ物選手権大賞
・2019年東北・岩手樂旅 忘れ物選手権大賞 1
・2019年東北・岩手樂旅 忘れ物選手権大賞 2
・2018年ウラジオストク樂旅 忘れ物選手権大賞

(注)「三匹の熊」と言うのは毛蟹を食べたレストランの名前。

・2017年東北・岩手樂旅 忘れ物選手権大賞
・2017年東北・岩手樂旅 忘れ物選手権パート賞
・2016年ウラジオストク樂旅 忘れ物選手権大賞
・2016年ウラジオストク樂旅 忘れ物選手権パート賞
(備考)2015年以前の賞状をどこにしまったか忘れており、捜索中です。
・2018年9月 第2回ウラジオストク公演
ローカルテレビ局「アルチョームTV」で放映されました!
(画面クリックで再生します)
・2014年2月 第14回定期演奏会
「津軽海峡冬景色」・・・セリを使用しました!
(画面クリックで再生します)
「高原列車は行く」
(画面クリックで再生します)